拗ねる…
子供を見ているとよくわかるこの感情。
何が欲しかったのか、どんな希望が叶わなかったのか、その根底にある「やりたいこと」を素直に表現するから、拗ねているんだなってこともすぐに理解が出来ますね。
ところが、大人の場合、この拗ねている感情を見つけるのは
とても煩雑で難しいのではないでしょうか。
それは、経験と知識を積んでいるぶんだけ、回りくどくて、もっともらしい理屈をつけて、巧妙に隠しているからだと思います。
それに、もし拗ねているのだなんて他人に見破られたりなんかしたら、
あまりにも子供じみているとバカにされかねないと思って居ますから。
だから隠すのも真剣です。
かなり本気で必死に隠します。
なのでついつい相手の表面上の言葉に釣られて、
右往左往してしまったりするなんてことをみんな経験しているんじゃないでしょうか。
また、拗ねている本人にも、私は(僕は)拗ねているんだな。
ってことが意識に上ってきません。
だから、自分の本当の望みを相手に伝えることをしません。
多分、こんなことを心の中で思って居るのではないでしょうか。
私が(僕が)何を欲しがっているのか、あなたはピッタリとそれを当てて、寸分違わない物を持ってくるべきなのよ。でないと機嫌を直してあげないわ。
と。
つまり、拗ねるという感情を使って、相手に自分の主張を通し、コントロールして自分の望み通りにしようとしているんですね。
この「拗ね」を向けられた方は堪ったもんじゃありません。
相手が伝えてこないものを、あれかこれかと想像を巡らし、表示してみるけれども当たらない。
いい加減うんざりして、相手をするのも面倒くさくなりますよね。
「もう知らない。勝手にすれば?」なんて言いたくなりますし、実際に言葉にも態度にも出ることでしょう。
ところで、この相手の「拗ね」に右往左往する人は、依存傾向にあると思います。
親子関係で考えてみるととても良くわかるかと思うのですが、
例えば子供が拗ねて、
「僕の言うことを聞いてくれないんだったら、もう何にも言うことを聞いてやらないもん」
なんて言ってきたとしても、
「えーーーー!! それは大変!! どんな願いを叶えれば、これから言うことを聞いてくれるの?」
なんて慌てる親は居ないと思います。
大概は、
「何を言ってるの、この子は!」
ゴツン。なんてげんこつのオマケ付きまであったりして、子供の拗ねにオロオロするなんてことはありませんね。
それは親が自分の考えやセオリー、ルールなどの基準がハッキリしていて、自分軸で考えているからです。
このように親子関係で考えてみると、「拗ね」ということがシンプルに見えてくるんじゃないでしょうか。
もし自分が対人関係の中で、表面に出している態度や言葉とは違う別の感情を心の中で感じたとき…
あなたは拗ねているのかもしれませんよ?