誰だってそうじゃないは、誰のこと?

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私たち人間は、自分にとって都合の悪いもの、自分の欠点や失敗は認めにくいものです。
ですから、欠点は隠そうとするし、失敗はできる限り自分の責任分を減らそうとしてしまいます。
これは人としてのごくごく当たり前の行動じゃないかと思います。

ですが、隠しているときは、バレやしないかと不安になりますし、
責任分を減らそうとしたときには、罪悪感を感じたりします。

これらの相反する感情が、自分にも他人にもわかりにくい
気持ちや行動として表れるのではないでしょうか。

さて、他人との関係性を変える。自分を変容させる。
ということにおいては、必ず内省するということが必要になります。

このプロセスを踏まないでの変化は有り得ないのです。

ですが、自分の隠していた欠点や秘密を素直に見つめるというのは、とても痛い行為です。

そんなものを認めたら、ただでさえ自信がなかったのに、
更に追い打ちを掛け、2度と起き上がることが出来なくなるんじゃないだろうか。そんな気さえします。
そこには大きな不安と恐怖が横たわっているでしょう。

あるいは自分がとても悪人で酷い人のように思えてしまうかもしれません。


ところで人間という生き物は、自分のことを良い人だと思いたいように出来ています。
その本能に逆らって、出来の悪いところを自分に晒すわけですから、
落ち込むこともこの上ないことでしょう。

それらの感情は、とても苦く、苦しく、辛いものです。

自分という人間には、何の価値も無いような感じがしてしまったり、
とても孤独な感じがしたりするかもしれません。

だから回避したい。
無かったことにしたい。
見なかったことにしたい。

だけどそこにある。

では次の手段として思うのは、
「誰だってそうじゃない?」
という、集団に溶け込んでしまおう、それで正当化してしまおうという思考が浮かんできます。

「そんなの当たり前よ」
「みんなそうよ。私だけじゃないわ」
こんな言葉が、頭の中に浮かぶかもしれません。

そう、赤信号、みんなで渡れば怖くない。の思考ですね。
でも、集団であっても、赤信号は赤信号なのです。決して青に変化はしないのです。

ですから、車がつっこんでくる可能性は高く、危険なのです。
現実にある「危険」だということに着目しなければ、安全は保証されません。

それと同じで、
誰だってそうじゃない。と思ったときには、その誰だっては誰?
と、問い直してみる。そして、もし心当たりがあったとして、その欠点を、外から見た自分はどの様に思うのかってことを、率直に素直に見つめることが必要だろうと思います。

そこには大きな勇気が必要かもしれません。

ですが、その勇気があなたが進む道を変えてくれます。

自分の短所を見つめて感じる嫌な感情。その痛みに暫く耐えていると、
かならずそこから新しい感情や思いがやって来ます。
それは、自分の中で固定化していた短所を、きっと長所へと変化させてくれるでしょう。

ある種の驚きとともに、あなたの気持ちを劇的に軽くしてくれることでしょう。

これが、気づくということだと思います。

内省無くして、気づきは有り得ません。
知識や思考だけでは、人は変化は出来ません。

気づくということによって、人はどの様にでも変化できると思います。
そして、生きやすさを手に入れられると思います。

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