自分を知る必要性は

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セッションではいつも自分の気持ちがどんな状態なのかを見つめてもらっています。

「どんな気持ち?」と聞かれてもよくわからない。

はじめはみんなそう言います。

でもよくわからないなくても、モヤモヤはするし、
何だか息苦しかったりと何かしらの感覚は感じているわけです。

この感覚がそもそもなければ、悩みにはならないし、カウンセリングに来られることもないでしょうから、一大決心をしてカウンセリングに申し込んでくるというのは、何かしら困った状態を心と身体にも感じているのです。

自分がどんな気持ちであるのか?ということを把握することは、
自分がどのように生きていくのか?ということにも繋がっていきます。

自分がどんな気持ちであるのかを知らなければ、それを表現することはできません。

一般的に通常私たちはそんなことを考えたり習ったりしていませんから、
何かしら感じた気持ちをその場その場の場当たり的に表現してきているわけです。

ですから、言い過ぎたー。とか失敗した。
とか余計なことを言っちゃったとか心にもないことを言っちゃったとか
やっちゃったとかということが起こるわけです。

また自分が気がつかない気持ちを他人が知ることなど不可能です。

想像はしますが、その想像は想像した人が生きてきた中で知り得た過去のデーターに照らし合わせて、多分こんなことだろうと想像しているのですが、経験などみんなそれぞれ違いますし、その時に考えたことも違いますから、対処も行動も違ってきます。

ですが特に夫婦の場合、そこをわかっていて当たり前だとか、わかり合える事が夫婦だとか、間違った認識が一般化してしまっているように思います。

どこまでいっても、どんなに近い存在でも、相手の気持ちは本人から聞かない限りわからない。
これが真実です。

ですから、自分の気持ちがわからなければ、相手に正しく伝えることはできません。
つまりこれは「自分を正しく表現する」ということなのです。

自分の気持ちがわかれば、その通りに伝えることも、その思いに従って行動することもできます。
またしないことを選択することもできます。

こういった状態であることの持続が、自分軸があるとか自信があるとかという表現になるかと思います。

自分の気持ちは自分しか知りません。

お友達にもわかりませんし、同じような経験をした人にも、本当のところはわからないのです。

「あーー、わかるわかる」なんて会話の中ではよく言いますし、
「でしょ?でしょう?」なんて、お互いにわかり合えた気がしていますが、
厳密に言うと、お互いの経験の中で感じた思いに照らし合わせて自分の経験を感じて居るだけなのです。
それはどれだけピッタリ一致するものなのかはわかりません。

「わたしはそうだけど、あなたはそんな風に感じるのね?少し違うのね?」

こんな表現が一番正しいのかもしれません。

ここで表現のレクチャーをしようというのではありません。

つまり「同じ気持ち」というのは厳密に言うと無いってことを言いたいわけです。

だからこそ、自分の気持ちをちゃんと把握して、それを伝える必要性があるのです。
でなければ、他人は自分の経験に照らして、これぐらいのことならどうってことないわ、などと判断してあなたの気持ちにより添ってくれないかもしれませんし、場合によってはその気持ちを無視されることだってあり得るのです。

同性の場合でも、同じような経験をしている同士でもそういうことはあります。
夫婦の場合、まして、男と女という性差があり、日常の見ている景色の違う同士であり、それまでの生きてきた経験の違うもの同士であるのです。

こんなに違うのにわかって当たり前、とか、何でわからないの?と思うのは、大きな思い違いと言わざるを得ません。

まず相手にわかって欲しかったら、自分自身で自分の気持ちをちゃんと知ること。

これがなくては何も始まりません。

自分の感情を感じることに慣れていない私たちには、訓練も必要です。
そのためにも毎日自分に優しく問いかけてあげて下さいね。

「私は今何を感じているの?」と。

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