自分軸で生きる=主体性を持つ

約3分

自分軸で生きるとはどういうことか?
いったいそれは何?
何となくわかるんだけど、ハッキリとはわからない。
自由なような気もするけれど、それってわがままじゃないの?

こんな質問をよくいただきます。
今日はそのことについて考えてみたいと思います。

自分軸で生きるとは、主体性を持つということ。
そして自律するということ。
同義語かと思います。

大辞林で調べると、
【主体性】
自分の意志・判断によって,みずから責任をもって行動する態度や性質
とあります。

つまり、人生のどんな場面に於いても、自ら選択し、決定し行動する。
そして、その行動に伴う責任をも引き受けるということです。


例えば、今日のあなたは和食の気分。
だけど夫にイタリアンが良いと言われました。

和食とイタリアンでどちらに行くか揉めましたが、
結局夫の言い分に沿ってイタリアンレストランへ行くことになりました。
ですが、入ったお店はおいしくありませんでした。

無理強いして連れてこられたのに…と、あなたはとても不愉快な気分になりました。

「だから和食へ行けば良かったのよ。
あなたがイタリアンがいいなんて言うから、こんなマズいものを食べなきゃいけなくなったのよ」

などと心の中で思うかもしれません。

ですが、行くまでにどんな局面があろうとも、最終的にそこへ行くと決めたのは、あなたの選択です。

どうしてもイヤであれば、断わることも出来たでしょうし、
一人で和食屋さんへ出かける事も出来たはずです。

イタリアンレストランへ行くまでにあなたは心の中で、
夫の機嫌を損ねるのが嫌だと思ったのかもしれませんし、面倒くさいと思ったのかもしれません。

どんな思いがあなたのイタリアンレストラン行きを後押ししたのかはわかりませんが、
数ある選択肢の中から、「行く」と決めたのです。


このように、何かの出来事に出会ったとき、無理矢理何かをさせられたとか、押しつけられた。
また、諍いを避けるために敢えて逆らわなかったとか、言われた通りにした。

ということも、常にいくつかの選択肢の中から一つを選んでいるのです。


自分軸で生きる=主体性を持つとは、この「自分自身が選択したのだ」ということを自覚しているということになります。

「あの人が私を怒らせた」のではなく、「あの人に私が怒りを覚えた」のです。
「嫌々つきあわされた」ではなく、「嫌だったけれども、つきあった」のです。

そこには敢えて逆らわず、波風を立てず穏便に済ませようという意識が働いたのかもしれません。
ですが、行動を起こした結果は、自分が選んだ結果なのです。

自分自身が選択したのだということを知っていると、他人に責任を求めません。
そしていつも自分が何をしたいのか、どれを選びたいのか、自分に問いかけることができます。

この問いかけが、自分にとっていつも心地よい選択、ベストな選択をさせてくれることでしょう。
結果、他人や環境に巻き込まれることなく、自分自身を表現することができるのです。

これが、自分の人生に責任を持つということですね。
よりよい人生を歩むために自ら能動的に関わっていけるのではないでしょうか。

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